トゥール・スレン虐殺博物館は、ポル・ポト政権の崩壊から30年の今も、無数の「死」に満ちていた。中でも、収容者の顔写真を展示したその部屋は重苦しい空気が沈殿していた。「反革命分子」として収容され、尋問を受け、処刑された犠牲者の顔、顔、顔、顔。
ふと目を上げると、後藤神父もまた、一枚の顔写真にじっと見入っていた。赤ん坊を抱いた女性を真横から写したものだった。
椅子に座った女性の後頭部に、弓矢のように細い鉄の棒が押し当てられている。撮影の際、椅子に腰かけ、棒の先に後頭部をつけるとカメラのピントが合う仕組みという。
後藤神父は、しかし、赤ん坊を抱いた女性の目元にうっすらと浮かぶ、ひと粒の涙を凝視していたのだった。何気なく見ているだけでは気がつかないほどの、かすかな涙。
「トクミツさん、ぼく、ここへ来るといっつも思うの。涙。ポル・ポトは泣くことを許さなかった。でも、彼女は泣いた。自分の赤ん坊と一緒に殺されるから。ね、この非人間的な…」
現地視察ツアーの定番コースとして、神父は虐殺博物館へ何度も足を運んでいた。そして、訪れるたびにポル・ポト時代への怒りや哀しみを噛みしめていた。
それは案内役のラーも同じだった。ラーはさっきから、展示された何千枚という犠牲者の顔写真を一枚一枚、丁寧に眺めていた。
ラーは、自分の父親と母親の写真を探しているのだった。ラーの両親は、ポル・ポト派が政権を握った1975年4月以来、30年以上も行方不明のままだった。
「ここへは毎年きます。もう十何回目かな。2年に1回、展示写真が替わります。くるたびに、ぼくいつも見てますよ。オトーサン(後藤神父のこと)がこなくても、ヒマな時にきます。いつ見つけるか」
「ここへ来るとどういう気持ちになりますか」。僕はあえて、ラーに尋ねた。
「苦しい」。ラーは表情をゆがめた。
しばらく互いに黙ったままだった。やがてラーは一群の写真を指さし、説明文を読んで言った。
「これらの写真は1年前に替えられたばかりです。この人たちは1978年にここへ収容されました。手を見てください。縛られている。女の子も。この人たちは名前からたぶん、ベトナム人だと思います」
少女の顔写真をじっと見つめていたラーが、こちらに向き直って言った。
「ぼく、ここで写真を見るとき、緊張する。今はあまり見たくないね。見ないほうがいいの。分かっちゃうから…。行方不明というと楽でしょ。もし写真が見つかったら、ショックでしょ。行方不明ってことは、生きているかも知れないから」
ラーは、ポル・ポト派に両親を奪われたという。だが、彼はポル・ポト派の少年兵だったともいう。
どういうことなのか。
(つづく)

ひと粒の涙を流す女性の「遺影」=06年1月、プノンペンのトゥール・スレン虐殺博物館


by ansund-59
2(4) 行方不明